同等の立場
- 柴田宗洋
- 2021年2月10日
- 読了時間: 3分
なんだかね。
起業して間もなく3年になるけれども、まだまだヒヨッコ。
どうやら、誰かに何かをしてもらう。というこの「貰う」という行為に慣れてなさ過ぎて
貰ってしまうと落ち着かない。
なんでだろう。小さい頃から引っ越しお連続だったからか、目立ちすぎず、目立たなすぎず
で輪に溶け込むのが最優先って感じから始まり、誰かに何かをしてそれとなく、ここで生きてるよーみたいな存在をアピールしつつ何となく居場所を確保。
みたいなのが、幼稚園から始まって起業するまで続いた。
何年だろう。約40年近いのだろうか。
「初めましてよろしく」を何回繰り返したのかもう覚えてない。
そんなんだから、故郷もなければゆく先々で何だか人に何かを感謝されるまで実行するのが
処世術みたいになってしまったのだろうか。
先日お客様に「適正な契約」と言われた時、あ、いや、あれ?と、なったのがコレ。
どうやら、自分の会社で実施している事はお客様と同等の立場になっちゃいけない。
仕事をもらっているのだから。という概念が働いてしまう・・・訳でもない。
ただただ、適正という言葉がひっかかる。要するに正当な評価、正当な労働、正当な対価。
そう、「正当な対価」を支払うから被るような事はしなくていいのだよと。
これ、ちょいちょい言われて「ハっ」となる。逆にお客様に気を使わせてしまっている。
そして、なんかちょっと違和感がある。
そして気づく。「正当な対価をもらえるほどプロの仕事をしてない」「正当な対価を主張できるほど胸を張って結果をだせていない」と思っているからだと。
たぶん自分の中の合格点のハードルが通常より高く設定しているからかなと。
じゃあ、合格点てなに?となる訳で、なぜその合格点に到達していないと思う?
という事なのだけど、これが幼少期までつながってしまう。
要するに「関係する人が困らない様に手を引いて目的地まで到着できるまで寄り添う」
道をきかれたら、目的地まで連れて行く。または目的地まで確実に到着できそうだ。となるまで付き添う。もしくは、もう大丈夫ありがとうと言われるまで。これをしてようやく「自分が」落ち着く。逆にこれができないとソワソワしてしまう。つまり落ち着かない。
この場合は別の機会があるときに、その分も上乗せして実行する。そして「ふう、落ち着いた」となる。
同時にそれは「やりすぎてる」とも思う事もあるのだけども、少なくとも文句を言われた事はない。けれど、やりすぎてしまうと、それは相手に気を使わせてしまう結果になる。
特に「労力」の部分はあまり気にされないが「金」となると分かりやすいからか気を使わせてしまう。そうだよなあ。そういえば昔、友人に「金」を貸したっけ。その時は自分も金ないから、消費者金融のカード作ってそのカードを渡したっけ。10年くらい貸してたけどMAXまでかりたまま全く減ってないのは笑ったなあ。でもそれも異常行為だよなあ。
とにかく、気を遣わせずにスマートに実行できるように修行しなくちゃだなあ。
そして、それがプロの仕事として納得できる結果を出せる様にしなくちゃだなあ。
と、思った今日このごろ。
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